平田玉蘊(読み)ひらた・ぎょくうん

朝日日本歴史人物事典 「平田玉蘊」の解説

平田玉蘊

没年:安政2.6.20(1855.8.2)
生年天明7(1787)
江戸後期の画家備後(広島県)の福岡屋平田五峯の次女。名は豊子,のちに章。池大雅の門人福原五岳に画を学び,のち四条派の八田古秀にも学んだ。文化4(1807)年頼山陽と初めて会い,以後教えを受ける。尾道浄土寺に文化7年銘の「牡丹・山桜図杉戸絵」があるほか,同寺に「竹ニ軍鶏図衝立」,福善寺(尾道市)に「雪景松竹梅図襖」,慈観寺(尾道市)に「桐ニ鳳凰図襖」など,女性画家としては大作が多く異彩を放っている。しかもこうした障壁画に異様に大きな落款を記し,自己主張の強さがうかがえる。墓は尾道市の持光寺にある。

(安村敏信)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平田玉蘊」の解説

平田玉蘊 ひらた-ぎょくうん

1787-1855 江戸時代後期の画家。
天明7年生まれ。備後(びんご)(広島県)尾道の豪商福岡屋の次女。福原五岳,八田古秀(はった-こしゅう)にまなぶ。また詩歌をこのみ,頼山陽らと親交があった。尾道市福善寺本堂の襖(ふすま)絵「雪景松竹梅」などの作品がある。安政2年6月20日死去。69歳。名は豊子。

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