平群山
へぐりやま
「古事記」景行天皇段に倭建命の国偲びの歌として「命の 全けむ人は 畳薦 平群の山の 熊白檮が葉を 髻華に挿せ その子」とあり、平群郡内の山地と考えられている。平群町大字三里の東端、大字椣原との境に小字平群山が残り、「和名抄」平群郡夜麻郷が平群山を意味するもので、矢田丘陵東南麓(現斑鳩町)に比定されることから、平群山の名称はは矢田丘陵を称したものとも考えられる。
奈良時代には薬狩が行われ「万葉集」巻一六には「八重畳 平群の山に 四月と 五月との間に 薬猟 仕ふる時に あしひきの この片山に 二つ立つ 櫟が本に 梓弓 八つ手挟み」の長歌がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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