平良五ヵ村
ぴいさらごかむら
宮古島蔵元などの行政施設が置かれ、系持・役人層が集住する地域の総称。はじめ平良四ヵ村とみえる。御嶽由来記の真玉御嶽の項に「平良四ケ村崇敬」とあるが、その村名は記されていない。雍正旧記には平良四ヶ村として下里・東仲宗根・西仲宗根・荷川取の村名と、四村でかつて行われていた世乞神の祭が紹介されている。世乞神は、各村の御嶽に旧暦一〇月・一一月・一二月の庚日より月五日ずつ出て神事を行い、島中の人々の幸福と五穀満作・航海安全を無食で祈願していたが、当時すでに廃されていたと記される(同旧記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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