20世紀日本人名事典 「平賀敏」の解説
平賀 敏
ヒラガ サトシ
- 生年
- 安政6年8月13日(1859年)
- 没年
- 昭和6(1931)年1月14日
- 出生地
- 江戸・駿河台
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾正科〔明治14年〕卒
- 経歴
- 旗本平賀勝足の4男。明治15年静岡師範教諭、22年宮内省官吏となり、大正天皇の東宮時代の御養育係を経て、29年三井銀行に入行し、本店課長。名古屋支店、大阪支店の各支配人を務め、40年退職し、小林一三と共に箕面有馬電気鉄道(大正7年阪神急行電鉄と改称)を創立。その後、桜セメント社長、播磨水力電気取締役などに就任。明治43年大日本製糖の窮状暴露で経営危機に陥った藤本ビルブローカー銀行の会長となり、同行の整理にあたった。また阪神急行電鉄社長、日本簡易火災保険社長、山陽中央水電社長などを歴任し、関西財界で重きをなした。大正14年財界を引退。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報