大阪市の梅田から京都市の河原町(かわらまち)、神戸市の三宮(さんのみや)、そして宝塚に至る京都線、神戸線、宝塚線の3本の本線とその支線からなる民営鉄道。143.6キロメートルの路線を有する(2018)。発祥は1910年(明治43)開業の箕面有馬(みのおありま)電気軌道(現在の宝塚線)で、やがて阪神急行電鉄と改称して1920年(大正9)に神戸線を開いた。1943年(昭和18)、第二次世界大戦下で政府の強い指導により京阪電気鉄道を合併して京阪神急行電鉄と改称、1949年(昭和24)にもとの京阪電気鉄道を分離したが、新京阪線(現在の京都線)だけは残った。1973年に社名を阪急電鉄に改めた。阪急東宝グループ(現、阪急阪神東宝グループ)の創業者小林一三(こばやしいちぞう)のアイデアで沿線に宅地の分譲を行い、1911年旅客誘致のため宝塚新温泉(のち宝塚ファミリーランド。2003年閉園)を建設、温泉内の劇場で少女歌劇(のち宝塚歌劇団)の定期公演を行い、ターミナルに直営の百貨店を設けるなど、郊外民鉄経営の模範となってきた。神戸線沿線は早くから高級住宅地として知られ、京都線は1963年に河原町(現、京都河原町)へ延長して京都の中心部と直結し、またその支線である千里(せんり)線は千里ニュータウンへの足となっている。宝塚線の沿線は住宅で埋め尽くされ、これに接する子会社の能勢(のせ)電鉄沿線にも日生ニュータウンなどが生まれている。2005年(平成17)4月に社名を阪急ホールディングスに変更し純粋持株会社へ移行、子会社の阪急電鉄分割準備株式会社が阪急電鉄株式会社に社名変更し、営業を承継した。さらに2006年10月に阪急ホールディングスは阪神電気鉄道と経営統合して阪急阪神ホールディングスと名称変更、阪急電鉄はその子会社となった。兼業の不動産事業は鉄道事業を上回る収益を上げている。
[和久田康雄]
『阪急電鉄編・刊『75年のあゆみ 記述編 写真編』(1982)』▽『『鉄道ピクトリアル8月臨時増刊号 阪急電鉄』(2010・鉄道図書刊行会)』
京都,大阪,兵庫の3府県に146.5km(2005)の営業路線を有する標準軌間の民営鉄道。大阪の梅田を起点に三宮に至る神戸線,宝塚に至る宝塚線,河原町に至る京都線の3本線のほか,神戸線と宝塚線を結ぶ今津線,千里ニュータウンに至る千里線などの支線から成る。神戸高速鉄道に属する三宮~西代間も第二種鉄道事業として営業している。小林一三が創設した。1907年創立の箕面有馬(みのおありま)電気軌道が建設した宝塚線を最初とし,18年に阪神急行電鉄と改称して神戸線を開いた。京都線は22年創立の新京阪鉄道が開通させた区間が主体をなし,のち親会社の京阪電気鉄道に合併された。43年に阪神急行電鉄と京阪電気鉄道は合併して京阪神急行電鉄となったが,49年に京阪線を分離し,新京阪線(現,京都線)だけを残した。73年に現社名に改称した。京阪神間の都市間連絡と通勤輸送に大きな役割を果たしており,梅田~十三(じゆうそう)間の3複線は民営鉄道唯一である。京都線,千里線は大阪市営地下鉄堺筋線と相互乗入れを行っている。沿線における宅地の開発,遊園地の経営,ターミナルデパートの開設などの先鞭をつけた。また,1913年には現在の宝塚歌劇(少女歌劇)を発足させた。2005年4月純粋持株会式,阪急ホールディングスとなった。資本金959億円(2005年9月),売上高4766億円(2005年3月期)。2006年阪神電気鉄道との経営統合によって阪急阪神ホールディングスと社名を変更した。
執筆者:和久田 康雄
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