日本歴史地名大系 「年田村」の解説 年田村としだむら 大分県:杵築市年田村[現在地名]杵築市熊野(くまの)原(はる)村の西方にあり、北は谷間をもつ丘陵地、南は年田川に沿う平坦地で海岸に接する。西は日出藩領八代(やしろ)村(現日出町)。歳田村とも書く。秋吉忠氏は秋吉一族の惣領として秋吉(あきよし)名や薬丸(やくまる)名・延道(のぶみち)名・守末(もりすえ)名などを支配したが、南北朝の動乱と一族の対立などで支配権が不安定になり、康永三年(一三四四)七月六日にはまず薬丸・延道・守末半名を戸次氏に寄進し、残りの半分の権利を確保した(「ひさきよ等連署奉書案」秋吉文書)。さらに秋吉名についても戸次氏と契約し、その一部を去渡した(貞和三年正月二六日「八坂下庄内秋吉名田畠戸次方分帳案」同文書)。年月日未詳の八坂下庄秋吉名当知行并押領分坪付注文(同文書)には、竹中殿御押領分の注文があり、「□歳田秋吉惣里坪」が竹中殿すなわち戸次氏の支配分であったことがわかる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by