日本歴史地名大系 「幸山城跡」の解説
幸山城跡
こうざんじようあと
標高一六四メートルの山頂に位置し、三方は絶壁をなす。西方を
天文二二年(一五五三)一〇月の幸山表の合戦で、三村家親に属していた渡辺盛忠は敵将荒木七郎三郎を討ったという(「八幡旧記」渡辺文書)。毛利氏の備中進出後は前線基地としての役割をもち、「萩藩閥閲録」に収める毛利元就・輝元や小早川隆景らの書状によって動向が知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
標高一六四メートルの山頂に位置し、三方は絶壁をなす。西方を
天文二二年(一五五三)一〇月の幸山表の合戦で、三村家親に属していた渡辺盛忠は敵将荒木七郎三郎を討ったという(「八幡旧記」渡辺文書)。毛利氏の備中進出後は前線基地としての役割をもち、「萩藩閥閲録」に収める毛利元就・輝元や小早川隆景らの書状によって動向が知られる。
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