幸津川村(読み)さづかわむら

日本歴史地名大系 「幸津川村」の解説

幸津川村
さづかわむら

[現在地名]守山市幸津川町

小浜こばま村の南、野洲やす川の北流と南流の中央に位置。文和四年(一三五五)八月二九日、「佐津河東方」の田地などが本主氏重願信らの寄付の旨に任せて足利尊氏から妙顕みようけん(現京都市上京区)に安堵された(「足利尊氏寄進状」妙顕寺文書)。天文八年(一五三九)二月八日近江へ出発した京都相国しようこく鹿苑ろくおん院僧録司は坂本で昼食ののち幸津川西孫三郎宿所で中食をとっている(鹿苑日録)南北野洲川が流れることから冠水の危険にさらされ、天文七年の氾濫では民家の多くが浸水したという(守山市史)。元亀三年(一五七二)三月二八日には幸津川の者二六名が一揆に同心しないことを誓う起請文(大谷家蔵謄写本)に署判している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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