幸能鶴神社
こうのうつるじんじや
[現在地名]三朝町穴鴨
穴鴨集落の東側に位置し、津山往来人形仙越が社前を通っていた。旧村社。祭神は猿田彦尊ほか三柱で、江戸時代には白髭大明神と称された。創建時期は不詳であるが、建武二年(一三三五)八月五日の屋根葺寄進の棟札が現存。また延宝八年(一六八〇)安田茂右衛門・藤原定成などを願主とする新築棟札も残る。寛永一〇年(一六三三)鳥取藩から出された神領折紙(社蔵)には、社領四石五斗を大柿村から永代寄進させるとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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