日本歴史地名大系 「広浜村」の解説 広浜村ひろはまむら 山形県:鶴岡市大山川流域地区広浜村[現在地名]鶴岡市大広(おおひろ)大谷(おおたに)村の東、虚空蔵(こくぞう)山の北麓にあり、北東に水沢(みずさわ)村。「筆濃余理」所載の弭間家伝には先祖弭間九郎右衛門は大浦屋形(武藤氏)に仕え、「広浜ノ楯」に住んだとある。弭間家は武藤氏滅亡後当村に土着した。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名がみえ、高二七三石余。寛永元年庄内高辻帳では高二四五石余、正保郷帳では田高二三五石余・畑高九石余、はえ山がある。 広浜村ひろはまむら 岡山県:笠岡市広浜村[現在地名]笠岡市広浜南流する今立(いまだて)川を挟んで馬飼(まかい)村の東に位置し、東は虚空蔵(こくぞう)山を境に口林(くちばやし)村(現浅口郡里庄町)。東端を浜(はま)街道が通る。虚空蔵山南西斜面、標高四五メートル付近の本村(ほんむら)古墳から五世紀頃の石棺と人骨が出土、同古墳の北方約五〇〇メートル、字才(さい)ノ原(はら)には組合せ式箱形石棺を出土した才ノ原古墳がある。古くは海水が浸入し、今立川の沖積によって陸地となり、そこに新田が開発されたことが地名の由来になったとされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報