広淵沼
ひろぶちぬま
旧北上川西岸沿いにあった人工の溜池で大堤ともいわれ、明治一一年(一八七八)から公称広淵大溜池となった。旭山丘陵の東部に広がっていた低湿地帯広淵谷地の大規模な新田開発に伴って築造。「封内風土記」によれば縦一千二七〇間余、横一千二〇〇間、周囲六千一九三間で、広淵・北・前谷地・和淵・鹿股・須江、赤井(現矢本町)、牡鹿郡蛇田(現石巻市)など八村の用水源であった。近世初頭江合川下流の付替工事がなされ北上川に合流したのち、旧河道は定川としてわずかにその跡をとどめるのみとなる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の広淵沼の言及
【河南[町]】より
…旧北上川下流の南岸にあり,町域西部に旭山を中心とした丘陵が連なるほかは低地が広がる。中央部には近世の新田開発の際,灌漑用水源として築造された広淵沼があったが,昭和初期に干拓された。耕地のほとんどが水田で,県下でも有数の米産地である。…
※「広淵沼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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