広瀬保庵(読み)ひろせ ほあん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広瀬保庵」の解説

広瀬保庵 ひろせ-ほあん

1808-1865 江戸時代後期の医師
文化5年生まれ。甲斐(かい)(山梨県)の市川代官所に医師としてつとめる。万延元年遣米使節団の随員となった森田岡太郎従者のひとりにくわえられ,渡米。帰国して「環海航路日記」「環海航路新図」をあらわした。慶応元年死去。58歳。名は包章。通称は格蔵。別号に半渓。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む