広瀬保庵(読み)ひろせ・ほあん

朝日日本歴史人物事典 「広瀬保庵」の解説

広瀬保庵

没年:慶応1(1865)
生年:文化5(1808)
幕末医者通称は格蔵。号は半渓,保庵。甲斐八代郡市川大門村(山梨県西八代郡)生まれ。医をもって市川代官所に仕える。万延1(1860)年,新見正興遣米使節の一行に加わり世界一周した。これは元市川代官森田岡太郎が勘定方組頭として加わったことから,その用人兼典医役として随行したものである。帰国後,『環海航路日記』(1862,江戸須原屋出版),『環海航路新図』を著した。『環海航路日記』は品川沖からハワイ,サンフランシスコ,パナマまでの航海旅行記。<参考文献>村松志孝『甲州叢話』

(酒田正敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広瀬保庵」の解説

広瀬保庵 ひろせ-ほあん

1808-1865 江戸時代後期の医師
文化5年生まれ。甲斐(かい)(山梨県)の市川代官所に医師としてつとめる。万延元年遣米使節団の随員となった森田岡太郎の従者のひとりにくわえられ,渡米。帰国して「環海航路日記」「環海航路新図」をあらわした。慶応元年死去。58歳。名は包章。通称は格蔵。別号に半渓。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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