広隆寺弁天島経塚(読み)こうりゆうじべんてんじまきようづか

日本歴史地名大系 「広隆寺弁天島経塚」の解説

広隆寺弁天島経塚
こうりゆうじべんてんじまきようづか

[現在地名]右京区太秦蜂岡町

もと広隆寺境内にあった池の中島「弁天島」に埋納された、平安時代後期の経塚群。

弁天島は、直径一二メートル、高さ一・五メートルあり、経塚は昭和四五年(一九七〇)に発見された。その後、宅地造成で池が埋立てられることになり、昭和五二年冬、発掘調査を実施し、島の頂上から十数基の経塚を発見。島の全面には葺石があり、周囲には二重の杭列がみられ、土留め用の竹のしがらみが施されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む