府中学問所跡(読み)ふちゆうがくもんじよあと

日本歴史地名大系 「府中学問所跡」の解説

府中学問所跡
ふちゆうがくもんじよあと

[現在地名]静岡市追手町

駿府城三の丸、四足よつあし門の旧定番屋敷の敷地に設けられた駿府藩家臣の子弟などの教育機関。駿府学問所などともいわれ、明治二年(一八六九)駿府藩が静岡藩と改称して以後は静岡学問所という。慶応四年(一八六八)五月に徳川家達が駿府藩に封じられると、旧幕府の洋書調所(現東京都千代田区)昌平坂しようへいざか学問所(現同文京区)などの教授・洋書などを江戸から移し、明治元年九月八日に学問所開設を布達。同年一〇月に学問所頭に向山黄村・津田真道が任命され、教授は一等教授から五等教授まで総計五〇人、事務は約二〇人(以上、徳川宗家文書など)学科は国学・漢学洋学で、洋学は英・仏・蘭・独の四ヵ国語で授業がなされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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