府谷村(読み)ふのたにむら

日本歴史地名大系 「府谷村」の解説

府谷村
ふのたにむら

[現在地名]錦町大字府谷

玖珂郡北部、東は奥山代(おくやましろ)の中心本郷(ほんごう)村(現本郷村)、西は前山代(まえやましろ)の中心広瀬(ひろせ)村に接する山村。村内西寄りを宇佐(うさ)川の下流中(なか)ノ瀬(せ)川が貫流する。萩藩領奥山代宰判所属。

村名は「大永ノ記録」(「山代温故録」所収)に「府谷畑」とみえる。永禄九年(一五六六)五月付の毛利元就の山田民部丞宛知行充行状(「閥閲録」所収山田吉兵衛家文書)にも、「防州山代符谷」、慶長五年(一六〇〇)の検地帳には「符之谷」とある。

江戸時代には一人の庄屋の下に畔頭がいたが、「注進案」では大久保(おおくぼ)・勢登(せと)・西村(にしむら)・渋谷(しぶたに)・木津森(こつもり)・河元(かわもと)・五味(ごみ)の七組に七人、「地下上申」では光長(みつなが)・西村・柿木(かきのき)・長池(ながいけ)・大久保・渋谷・木積(こつもり)・鋳物師(いもじ)・五味の九所に一一名とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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