座喜味グスク(読み)ざきみぐすく

日本歴史地名大系 「座喜味グスク」の解説

座喜味グスク
ざきみぐすく

[現在地名]読谷村座喜味 城原

平坦な地形である読谷村ほぼ中央部の比較的突出した台地上に形成される。標高一二七メートル、面積約六八〇〇平方メートル。晴れた日には那覇や本部(もとぶ)町をはじめ、慶良間(けらま)諸島・久米島・粟国(あぐに)島・渡名喜(となき)島・伊江(いえ)島・伊平屋(いへいや)諸島が遠望できる。読谷山(ゆんたんじや)城ともよばれる(「球陽」尚泰久王五年条)。グスクは一の郭とその南側を取巻く二の郭の二つの郭からなり、一の郭と二の郭にはそれぞれ拱門がある。一の郭の拱門は東北東へ、二の郭の拱門は南南西へ向いており、グスクの出入口は二の郭拱門のみである。両拱門のアーチ石中央にはクサビ石がはめ込まれており、沖縄の城門のなかで最も古い形式とされる。石積み技法は基本的にあいかた積みであるが、二の郭西内壁で野面積みがみられる。沖縄戦において日本軍の高射砲陣地となり、戦後は一部が米軍基地となっていたため破壊や削平が多い。

座喜味グスクは護佐丸(ごさまる)の居城であったといわれる。護佐丸はもと約四・五キロ北東の山田(やまだ)グスク(現恩納村)の城主だったが、尚巴志の今帰仁(なきじん)グスク(現今帰仁村)攻略後に恩賞として読谷山(ゆんたんじや)を与えられ、座喜味グスクを築城した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む