中城グスク(読み)なかぐすくぐすく

日本歴史地名大系 「中城グスク」の解説

中城グスク
なかぐすくぐすく

[現在地名]中城村泊など

中頭地域を南北に走る琉球石灰岩丘陵の東端に位置する大型グスク。中城城跡として国指定史跡、県指定名勝・県指定文化財でもある。ユネスコの世界遺産に登録されている。面積は約一万三〇〇〇平方メートル。標高約一六〇メートルで北は勝連かつれん半島、南に知念ちねん半島を望む。築城時期は不明だが主要な部分は数世代にわたって先中城按司の系統が築いたとされる。尚泰久王代(一四五四―六〇年)勝連かつれんグスク(現勝連町)阿麻和利に対する押えとして中城に移封された護佐丸が、三の郭と北の郭を増築したという。護佐丸が阿麻和利との争いに敗れ滅びてから後の詳しいことは知られていないが、首里から王族あるいはその代理が派遣されたとみられている。雍正七年(一七二九)には中城なかぐしく間切番所が置かれた(「球陽」尚敬王一七年条)。「おもろさうし」にも「きこゑ中くすく」と謡われ、「海東諸国紀」所載の琉球国之図には「中ママ足城」とみえる。「琉球国由来記」には中森なかむいノ御イベをはじめいくつかの御嶽・火神・殿があったことが記される。一八五三年にペリー艦隊の一行が沖縄島北部を調査した際、五月三一日に当城に着き測量を行った。「ペリー艦隊日本遠征記」によれば、当グスクは中国人のクーリーたちにより「チン・キン」Ching-King(主城)とよばれていた。この測量によると長さ二三五歩・幅七〇歩、基底部の壁の厚さ六―一二歩、上部の壁の厚さ一二フィート、斜面に沿って測った外壁の最高部六六フィート、内壁の高さ一二フィート、外壁の角度六〇度で、見取図も作製された。また「城塞は、中央分水嶺の支脈の頂上に、湾を望むように位置を占めていた。その輪郭は不規則だったが、ほぼ北東から南西の方向を向いていた。ある部分は完全に保存されていたが、別の箇所は蔓や灌木がのびほうだいになっていて、土台となっている自然の岩とほとんど区別がつかなかった」などと記し、「門を抜け、広い前庭を通って城塞の内部に入った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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