庵堤
ほうあんづつみ
鮎喰川右岸にある近世初期に築造された堤防で、一宮町と名東町地区境界の僧都の鼻(馬の鼻)から鮎喰町地区までの長さ約三キロに及ぶ。名称は蜂須賀家政(蓬庵)による徳島城下の建設と併せて築堤されたことにちなむ。現名西郡神山町上分字奥屋敷を源流とする鮎喰川は、僧都の鼻地点を扇頂として三角洲性扇状地を形成している。この扇状地面上を鮎喰川は乱流し、徳島市街地西部を東流する佐古川や田宮川もかつては鮎喰川の分流であったと推定される。鮎喰川左岸域では徳島市国府町地区の中・早渕・和田・南岩延、右岸域では名東・島田、春日町(旧今切村)の各地区付近には、弥生時代中期以降の鮎喰川の氾濫によって形成された完新世(沖積)段丘面や氾濫原が広がっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報