廿一軒町(読み)にじゆういつけんちよう

日本歴史地名大系 「廿一軒町」の解説

廿一軒町
にじゆういつけんちよう

東山区大和大路通四条上ル

東は大和大路。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に「四条上ル、廿一軒町 此町に東へ行所、富永町也。扨南の辻は四条通なり。但四条下ル町より(縄手通は)建仁寺町通といふ」とある。祇園外(そと)六町の開発に伴って、寛文(一六六一―七三)以降に町地となり、茶屋町・芝居町として発展した。ただし延宝二年(一六七四)四方洛外町続之町々小名之覚・正徳四年(一七一四)洛外町続町数小名并家数改帳(荻野家文書)には町名がみえない。京都御役所向大概覚書に「水茶屋」として「一、弐拾弐軒 大和大路弐(ママ)拾軒町」とあるのが初見で、水茶屋街であった。地図では宝永六年(一七〇九)京大絵図を町名初見とするが「廿間」とあり、それが「廿一間町」になるのは寛保初京大絵図である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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