日本歴史地名大系 「弓削寺跡」の解説 弓削寺跡ゆげじあと 大阪府:八尾市東弓削村弓削寺跡寺跡は東弓削(ひがしゆげ)村(河内志)、あるいは八尾木(よおぎ)村と東弓削村との間(河内名所図会)にあったというが確かなことは不明。草創者は不明だが、道鏡ら弓削氏の氏寺であったとみられる。初見は天平一四年(七四二)一二月三〇日の智識優婆塞等貢進文(正倉院文書)で、寺名および寺僧行聖の名がみえる。「続日本紀」によれば天平神護元年(七六五)一〇月二九日、称徳天皇は道鏡を同道させた紀州行幸の帰途、当地にあった弓削行宮に入り、翌日弓削寺に参って礼仏、庭で唐高麗の楽を奏させ、翌閏一〇月一日には弓削寺に食封二〇〇戸を与えている。さらに翌二日詔して道鏡に太政大臣禅師の位を授けるが、その後、弓削寺に参り礼仏、唐高麗の楽や黒山企師部の舞を奏させ、道鏡に綿一千屯を施している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by