引接寺跡(読み)いんじようじあと

日本歴史地名大系 「引接寺跡」の解説

引接寺跡
いんじようじあと

[現在地名]堺市少林寺町東四丁

寺跡は現在少林寺しようりんじ小学校敷地となっている。明治六年(一八七三)正法しようぼう寺に合併され廃寺となる。時宗四条しじよう道場金蓮こんれん(跡地は現京都市中京区)末寺で四条道場ともいった(「大乗院寺社雑事記」長享三年八月一九日条)。正平二年(一三四七)富豪三宅十五郎が釈阿智演開山として開創。十五郎は父五郎三郎の病の快癒を住吉社(現住吉区)に祈念し、夢想によって無量寿仏を感得して病を治した。その報謝のため住吉社領に七堂伽藍を建立したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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