デジタル大辞泉
「少林寺」の意味・読み・例文・類語
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しょうりん‐じセウリン‥【少林寺】
- 中国の河南省登封県の北西、嵩山(すうざん)にある寺。太和二〇年(四九六)、北魏の孝文帝が建立したと伝えられる。禅の中心地の一つで、達磨(だるま)大師が壁に面して坐禅すること九年で悟りを開いた所という。少林。
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少林寺
しようりんじ
[現在地名]武生市中津原町
中津原と下中津原の間、南側山麓にある。熊耳山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。江戸時代は土山(現武生市)の願成寺末。開山は嫩桂祐栄という。応永二九年(一四二二)七月二七日の祐栄宛霊忠中津原松林庵並山林田畑売券(当寺文書)、享徳元年(一四五二)一〇月五日の祐栄置文(同文書)によっておよその草創時期を推定することができるが、定めがたい。
少林寺
しようりんじ
[現在地名]八王子市滝山町
金龍山と号し、本尊釈迦如来。仏教系単立(もと曹洞宗)。開基は滝山城主北条氏照、開山は高乗寺九世の桂厳暁暾と伝える。暁暾は高乗寺八世聖山大祝の法嗣で、享禄三年(一五三〇)八月小田原の藤氏(氏照の乳母と伝える)の生れという。天文四年(一五三五)暁暾は得度して聖山大祝の弟子となり、弘治元年(一五五五)氏照を訪ねた。氏照は滝山城南東の滝の池という所に草庵小室庵を設けて住まわせた。
少林寺
しようりんじ
[現在地名]守山市矢島町
万松山と号し、臨済宗大徳寺派。本尊は釈迦如来。文明年中(一四六九―八七)一休宗純の高弟桐嶽紹鳳が開いたとされる。大永五年(一五二五)三月一〇日付で紹鳳自身が定めた少林寺法度写によれば、当寺は紹鳳が両親の位牌所として建立したものという。また佐々木道久の祈願所でもあり、一休死去の酬恩庵(現京都府田辺町)と本末の関係があったことが知られる。同六年連歌師宗長がこの地に逗留し、翌七年一月一八日当寺で連歌の会を催している(大永七年矢島少林庵百韻)。
少林寺
しようりんじ
[現在地名]久留米市寺町
寺町の北西部にある。臨済宗妙心寺派。瑞祥山と号する。元和九年(一六二三)徳雲寺の開山玄登の高弟俊嶺が開いたという。梅林寺末。本尊は阿弥陀如来とも、釈迦如来ともいう(久留米市誌)。
少林寺
しようりんじ
[現在地名]各務原市那加新加納町
善休寺の西に位置し、臨済宗妙心寺派。龍慶山と号し、本尊は聖観音。明応八年(一四九九)薄田加賀守(薄田源左衛門尉藤原祐貞)が開基となって創建、開山は妙心寺四派の一つ聖沢派の祖東陽英朝。創建は移建中興ともいわれる(各務原市史)。織田信長の美濃攻略の際に焼失したとされる。旗本坪内家定は領内にあった当寺の由緒を知り、正保元年(一六四四)体道宜全を中興として迎え、坪内氏の菩提寺とした。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
少林寺 (しょうりんじ)
Shào lín sì
中国,河南省登封県少室山北麓の五乳峰下にある仏寺。山号嵩山(すうざん)。北魏の孝文帝が496年(太和20)に跋陀禅師のために創建した。禅宗の初祖菩提達磨が面壁した地と伝えられ,少林寺拳法発祥の地としても有名。創建以来,隋・唐および元・明時代には隆盛をみせ,また興廃をくり返した。伽藍中心部の大雄宝殿,天王殿などは1928年に焼損し,いまは山門および後方の方丈,千仏殿など数棟の建物がのこっているほか,皇唐嵩岳少林寺碑などの石碑がある。伽藍西方の塔林には,唐・宋時代以降の塼・石造の墓塔200基以上が林立し,壮観を呈する。寺域北西約1kmにある初祖庵には北宋の1125年(宣和7)建設の大殿が現存し,小規模な木造建築であるが,その窓,扉,斗栱(ときよう)や柱・壁石彫の寸法・形式は,きわめて接近した時期に編纂された官撰建築技術書《営造法式》の内容と符合する点が多く,中国建築史上の貴重な資料である。
執筆者:田中 淡
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
少林寺
しょうりんじ
Shao-lin-si
中国,ホーナン(河南)省トンフォン(登封),ソン(嵩)山西麓にある古寺。太和20(496)年,北魏の孝文帝によって創建された。禅宗の初祖であるインドの菩提達磨が 9年間壁に向かって坐禅したという面壁九年の故事で有名。拳法の一つ,少林拳(少林武術)の発祥地としても知られる。天王殿,大雄宝殿をはじめ多くの建物は元代以降の建造だが,宋代に再建された初祖庵大殿は建築史上重要。2010年,登封の歴史的建造物群「天地之中」として嵩岳寺塔や嵩陽書院などとあわせて世界遺産の文化遺産に登録された。
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少林寺【しょうりんじ】
中国,河南省登封県嵩山(すうざん)の別峰少室山麓にある名寺。達磨(だるま)が面壁九年して修禅し,慧可(えか)が臂(ひじ)を切って入門を迫った故地。北魏の孝文帝が496年に創建,北周の廃仏にあって伽藍(がらん)が破壊されたが,隋唐代に復活,山門・天主殿・大雄宝殿など多くの建築物がある。中国拳法のメッカとしても知られ,同寺で学んだ宗道臣は〈少林寺拳法〉(拳法)を創始した。少林寺を含む登封県近隣に点在する建造物・遺跡群は2010年,天地の中心であるという思想から生まれた古代中国建築の代表例であることが評価され,〈河南登封の文化財"天地之中"〉として世界文化遺産に登録された。
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しょうりんじ【少林寺】
中国の河南(かなん)省登封県北、少室山の麓にあり、北魏20年に創建された寺。中国仏教の禅宗の発祥地であり、少林拳でも有名である。中国の拳法は、古来「南拳」と「北拳」という言い方をされるが、「南拳」は湖北省にある武当山の拳法を指し、「北拳」の発祥地が少林寺である。歴代の石碑があちこちに散在し、寺院の西には「塔林」と呼ばれるレンガで造られた舎利塔が218基建っている。◇少室山北麓の森林に建てられているため「少林寺」と呼ばれる。
出典 講談社世界の観光地名がわかる事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の少林寺の言及
【河南[省]】より
…東部の太室と西部の少室とに分かれ,太室には中岳廟があって山の祭祀の中心をなしている。少室山麓の少林寺は達磨大師の面壁九年の遺跡であるとともに,少林寺拳法の発生地として有名である。本省は中国文化発生地の一つであり,歴史が古いだけに,考古学的な遺跡をはじめ名勝,旧跡はもちろんのこと,歴代の有名な古戦場なども多い。…
【少林寺拳法】より
…拳法の一つ。現在日本で行われている少林寺拳法は,宗道臣(そうどうしん)(1911‐80)の創始によるものである。宗道臣は第2次大戦中,中国河南省嵩山(すうざん)[少林寺]で,伝来の拳法を学び,帰国後,1947年〈少林寺拳法〉として指導を開始した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」