精選版 日本国語大辞典 「開口」の意味・読み・例文・類語
かい‐こう【開口】
かい‐の‐くち【開口・貝かひ口・通かひ口】
あ‐ぐち【開口】
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寺院の延年において演ぜられた,言葉を主体とした芸能。その実態をよく伝えるのが1544年(天文13)書写の《多武峰(とうのみね)延年詞章》の開口7編で,それによればまず仏法の功徳などが述べられたあと,一定の題材に沿った洒落や秀句が比較的長く語られ,最後に延年の場に来臨した諸衆を祝福するという形になっている。頭尾の祝言はまじめなものだが,それにはさまれた洒落や秀句の部分は相当に滑稽なものである。たとえば7編中の第5〈開口名所山々相撲之事〉についてみると,〈よき相手に逢坂山の,しやつと寄て取らんとすれば,耳なしの山なれば,取手にはぐれて勝負をも決せずして入佐の山もあり,また,取られじとて足引の山もをかしきに,はや鳥羽の秋の山は時雨をも待たで勝つ(褐)色みえた候〉といった具合に綴られている。このように相撲とか囲碁の勝負を叙述する文脈のなかに,名山,名所,草花,歌人あるいは《源氏物語》の巻名などを類聚的に詠みこんでゆくのが《多武峰延年詞章》の開口である。古い時代の開口の詞章としては,このほかに園城寺の延年で演ぜられた鎌倉期の詞章が14編伝わっているが,そこには多武峰の開口にみられた滑稽みはほとんど認められない。しかし1265年(文永2)の東大寺の延年記録に〈開口猿楽〉と記されたものがあり,開口が猿楽と称しうる芸能であったことは確実であって,多武峰延年の開口のかかる滑稽解頤(かいい)の趣向はいかにも猿楽芸というにふさわしいものであり,この点は明らかに鎌倉時代の〈開口猿楽〉の面影をとどめるものと認められる。物名(もののな)を類聚する趣向としては《梁塵秘抄》の今様,鎌倉初期の連歌の賦物(ふしもの)があり,さらに早歌(そうが)などはほとんどの曲にこの趣向が認められるし,謡曲にも比較的古い曲の中に〈浦尽し〉とか〈木の実尽し〉とかの〈物尽し〉の小段があって,芸能の歴史のうえで開口のこのような趣向が持つ意義はけっして小さくはない。
開口という名称は〈開会の辞〉といった意味あいのものであろう。園城寺の開口などはまさしくそうした位置にあったようだが,多武峰の場合などは必ずしもそうではなく,延年の次第から判断すると,どうも答弁とか風流(ふりゆう)とかの延年芸の序として演ぜられたもののごとくである。中世には盛大であった多武峰や興福寺の延年が絶えた結果,そこで演ぜられていた開口も現在では見ることができないが,今なお延年のなかに開口を伝えている寺院としては,平泉中尊寺,美濃長滝の白山神社などがある。
脇能の冒頭にワキが当代賛美の謡を独吟することを開口と呼んでいる。〈かいこ〉とも呼ばれた。《申楽談儀》に当時の開口詞章の一節が引かれているから,その始まりは相当古い時代のことである。世阿弥時代には能の最初の謡を開口と呼び,能で最初に謡い出す者(多くはワキ)を開口人(かいこにん)と呼んでもいる。近世においては幕府や禁裏,あるいは本願寺での儀式の際に開口を謡うことが慣例で,その詞章は儒者や公卿の手で新作され,ワキ方がそれに節付けをした。演ぜられる場といい,そのつど新作されるならわしであることといい,開口はたいへんな大役であり,ワキ方にとっては最も重い習事であったが,文句をまちがえたりした場合には処罰の対象ともなった。脇能の構成は〈次第〉〈名ノリ〉〈道行〉が定型であるが,冒頭で開口が謡われる場合には,〈開口〉〈名ノリ〉〈次第〉〈道行〉というように,その構成が一部変えられた。このように,開口はもともと当代賛美という目的のもとに演ぜられたものであるが,それゆえ現代ではまったく演ぜられることがなくなっている。
執筆者:天野 文雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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