弘光寺(読み)こうこうじ

日本歴史地名大系 「弘光寺」の解説

弘光寺
こうこうじ

[現在地名]岡部町針ヶ谷

藤治とうじ川の東方、県道熊谷―児玉線の南に位置する。教王山仏母院と号し、真言宗豊山派本尊は不動明王。「風土記稿」によると、大同二年(八〇七)空海の開基で「大道場ナリト伝ヘテ、今ニ大坊ト称ス」とある。文治年間(一一八五―九〇)源頼朝より境外一五〇貫の寄進を仰ぎ僧祐尊が中興、寺号を弘光寺としたと伝える。これに対し、中興祐尊は寺蔵の弘光寺過去帳に応安三年(一三七〇)の没とあり、京都仁和寺西院流の祖祐尊と同一人物とされるが、後者は承久四年(一二二二)に没しているため別人であろう(「仁和寺諸院家記」など)。弘光寺祐尊は下野鶏足けいそく(現栃木県足利市)尊誉(至徳四年没)の弟子源宥に山城醍醐寺報恩院流を伝授していることから(「鶏足寺世代血脈」鶏足寺蔵)、両流を併せて伝えたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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