弘岡上ノ村(読み)ひろおかかみのむら

日本歴史地名大系 「弘岡上ノ村」の解説

弘岡上ノ村
ひろおかかみのむら

[現在地名]春野町弘岡上

森山もりやま村の北西に位置し、西は仁淀によど川が南東流する。「土佐州郡志」に「東限中之村鳥越松之瀬、西限高岡染殿淵、南限柳之窪、北限朝倉、其地砂土」とみえる。東西に中村街道が通るが、同街道の仁淀川の船渡しは広さ四〇間、深さ一間一尺で、対岸中島なかじま(現土佐市)とを結んだ(元禄土佐国絵図)

当地はのちの弘岡中ノ村・弘岡下ノ村とともに弘岡と称され、戦国時代、土佐の七雄の一人といわれた吉良氏本貫の地。永禄六年(一五六三)長宗我部元親の弟親貞が吉良氏を継ぎ、その後親貞の子親実が領主となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)一定の主義・主張がなく、安易に他の説に賛成すること。「多数派に付和雷同する」[補説]「不和雷同」と書くのは誤り。[類語]矮人わいじんの観場かんじょう・同意・賛同・支持・賛成・雷同・便乗・...

付和雷同の用語解説を読む