コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

中宮寺 ちゅうぐうじ

7件 の用語解説(中宮寺の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中宮寺
ちゅうぐうじ

奈良県斑鳩 (いかるが) 町にある聖徳宗の寺院。斑鳩尼寺法興寺とも称する。聖徳太子の創建。本尊は『菩薩半跏像』 (伝如意輪観音,国宝) 。もとは尼寺の総本山。『天寿国繍帳』 (国宝) を蔵する。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

ちゅうぐう‐じ【中宮寺】

奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町にある聖徳宗の尼寺。山号は法興山。聖徳太子が、生母で用明天皇皇后の穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女の没後、菩提を弔うためその御所を寺としたのに始まるという。鎌倉時代日浄らが再興。天文年間(1532~1555)伏見宮貞敦親王の王女が入寺して以来、尼寺となった。所蔵の弥勒菩薩半跏(はんか)像と天寿国繍帳(しゅうちょう)は国宝。中宮尼寺。中宮寺御所。斑鳩御所。斑鳩尼寺。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

中宮寺【ちゅうぐうじ】

奈良県斑鳩(いかるが)町にある聖徳宗の尼寺。元来は法相宗。621年創建と伝え,鎌倉時代に衰えたが,室町時代末に再興。江戸時代初めに創建時の地より500m南西の現在地に移り,のち伏見家より代々門跡が入ることになった。
→関連項目斑鳩[町]聖徳太子浄土信仰

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル大辞泉プラスの解説

中宮寺

奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院。7世紀初頭の創建とされる。宗派は聖徳宗、本尊は如意輪観音。聖徳太子の母、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の誓願により創建。

出典|小学館
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

ちゅうぐうじ【中宮寺】

奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町にある聖徳宗(もとは法相宗,真言宗)の尼寺。中宮尼寺,斑鳩御所ともいう。聖徳太子建立七ヵ寺の一つ。創建当初は現在地の東500mほどの所にあり,16世紀後半ごろに移転したようである。621年(推古29)聖徳太子の母穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女が亡くなった後,その宮を寺に改めたと伝える。葦垣,岡本,斑鳩の三つの宮のなかに位置するので中宮(なかみや)寺というとの説もある。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ちゅうぐうじ【中宮寺】

奈良県斑鳩いかるが町にある聖徳宗の尼寺。聖徳太子が母后穴穂部間人皇女あなほべのはしひとのひめみこの御所を寺としたのに始まるという。国宝の弥勒菩薩半跏はんか像(伝如意輪観音像)・天寿国曼荼羅まんだら繡帳しゆうちようを所蔵する。斑鳩尼寺。斑鳩御所。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中宮寺
ちゅうぐうじ

奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町法隆寺にある寺。法隆寺を中心とする奈良仏教系の聖徳(しょうとく)宗に属する門跡尼寺(もんぜきにじ)。山号を法興山という。別称は中宮尼寺、中宮寺御所(ごしょ)、斑鳩御所といい、また法隆寺を斑鳩寺というのに対して斑鳩尼寺という。全国尼寺の総本山。本尊は如意輪観音(かんのん)。寺の創建に関しては諸説あるが、寺伝では、596年(推古天皇4)、聖徳太子は母の用明(ようめい)天皇皇后(穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女)のために中宮を建て、母没後、その菩提(ぼだい)を弔うために御所を寺刹(じさつ)にしたといい、母を開祖として中宮寺(なかみやでら)と号した。古くから聖徳太子ゆかりの尼寺として栄えたが、鎌倉時代には衰微。江戸時代に復興し、その門跡も代々伏見宮家から迎えられた。現存の建造物はそのほとんどが江戸時代以後のもの。本尊の木造菩薩半跏(ぼさつはんか)像(寺では如意輪観音像というが、一般には弥勒(みろく)菩薩とみられている)、天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)(以上2点は国宝)、紙製文殊(もんじゅ)菩薩立像、紙本墨書『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』(以上2点は国重要文化財)などの貴重な文化財が所蔵されている。菩薩半跏像は思惟(しい)半跏の優美な像で、京都広隆寺の弥勒菩薩半跏像とともに飛鳥(あすか)後期の名品として有名である。また天寿国繍帳は、絹布地に色糸で極楽浄土を刺繍(ししゅう)したもので、聖徳太子追善のために製作されたという。わが国最古の刺繍物であるが、現存するのは数個の断片である。[里道徳雄]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の中宮寺の言及

【中宮寺】より

…621年(推古29)聖徳太子の母穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女が亡くなった後,その宮を寺に改めたと伝える。葦垣,岡本,斑鳩の三つの宮のなかに位置するので中宮(なかみや)寺というとの説もある。平安時代の末には衰退したが,13世紀後半に西大寺の叡尊(えいそん)の指示で信如が復興した。…

※「中宮寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

中宮寺の関連キーワード奈良県生駒郡斑鳩町阿波奈良県生駒郡斑鳩町興留奈良県生駒郡斑鳩町小吉田奈良県生駒郡斑鳩町たか安奈良県生駒郡斑鳩町龍田奈良県生駒郡斑鳩町龍田南奈良県生駒郡斑鳩町東福寺奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北奈良県生駒郡斑鳩町三井奈良県生駒郡斑鳩町目安

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

中宮寺の関連情報