日本歴史地名大系 「弘岡町」の解説 弘岡町ひろおかまち 高知県:高知市高知城下下町弘岡町[現在地名]高知市南(みなみ)はりまや町一―二丁目・九反田(くたんだ)鏡(かがみ)川沿いに築かれた大堤防の北側に沿い、西は南北筋の八百屋(やおや)町の南詰を挟んで掛川(かけがわ)町、東は横堀。江戸時代中期の「高知風土記」によると東西一四〇間、南北二〇間、家数八五。山内氏入国後の城下町づくりの折、吾川(あがわ)郡弘岡(現春野町)の住民を移して成立したため、この名がつけられた。万治二年(一六五九)町の西部に、のちの八百屋町北部にあたる地にあった魚棚を移した。町内にある恵比須堂は城下七恵美須の一とされ、もと吾川郡弘岡村の辻(つじ)というところにあったものを移したもので、「高知県神社明細帳」に「二淀川洪水之節厨子共ニ海中へ流出、然ニ浦戸之方へ漂寄浦戸城下江取揚安置之、其後高知御町出来候当町へ勧請、其節ハ辻夷ト唱候」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by