朝日日本歴史人物事典 「弾直樹」の解説
弾直樹
生年:文政6(1823)
幕末明治期,穢多頭弾左衛門の最後の第13代目。小太郎,集保。摂津国莵原郡灘住吉村の寺田利左衛門の長子で,天保10(1839)年幕命により第12代弾左衛門の養子となった。慶応4(1868)年幕府から自身と手下65人の身分引き上げを認められて弾内記と改名し(俗名には矢野内記も用いた),明治3年に弾直樹と改めた。この年陸海軍造兵司所属の皮革製造伝習授業御用製造所を設立して洋式皮革・軍靴の製造を始めた。しかし翌4年賤民の斃牛馬処理権が廃止され,穢多非人などの称廃止令も出されたため,賤民支配権のうえに成り立つ弾の事業は大打撃を受けた。5年に政商水町久兵衛と弾・水町組を設立し,兵部省から軍靴を10年間納入の註文を受けたが,技術と経営の未熟のため解約された。その後は三井組の手代北岡文兵衛と弾・北岡組をつくって製靴部門を担当した。弾の事業は成功しなかったが,失意の晩年に皮革製造所と製靴職人の増加は「我志の果して貫徹せるものなり」と喜んでいたという。<参考文献>高橋梵仙『部落解放と弾直樹の功業』
(川村善二郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報