弾左衛門(読み)だんざえもん

日本大百科全書(ニッポニカ)「弾左衛門」の解説

弾左衛門
だんざえもん

江戸時代、関(かん)八州の大半および甲斐(かい)・伊豆駿河(するが)・陸奥(むつ)の一部、あわせて12か国にまたがる地域の穢多(えた)・非人(ひにん)・猿飼(さるかい)を支配した穢多頭(えたがしら)代々の。武士支配の社会的秩序を維持し強化する役割を果たす江戸時代の封建的身分には士(支配身分)、農工商(平民身分)などがあった。穢多は、非人とともに、平民身分の下におかれた賤民(せんみん)身分で、厳しい差別を受けた。弾左衛門は、1722年(享保7)、非人頭車善七(くるまぜんしち)が穢多頭の配下ではないと主張しておこった争論に勝訴、江戸の非人頭に対する支配権をいちおう確立し、非人を刑罰に処する仕置(しおき)権も掌握することとなった。これらの事実は、関八州などにおける弾左衛門を頂点とする賤民支配体系が整備されたことを示す。弾左衛門は、役として、太鼓(たいこ)、皮細工、灯心などを幕府に上納したほか、将軍が旅行する際の警護、罪人護送や処刑の人足などを出すよう命じられ、これを配下の穢多・非人に割り当てた。彼は、零細な農耕のほか、皮鞣(かわなめ)しや灯心製造などに従事する配下の穢多や、非人頭を通じて非人から徴税し、その経済的実力は3000石の旗本級といわれ、江戸北郊に大邸宅を構えていた。1800年(寛政12)の書上(かきあげ)では、穢多5664軒、非人1995軒、猿飼61軒が彼の直接間接の支配下にあった。

[成澤榮壽]

『部落問題研究所編・刊『部落の歴史 東日本篇』(1983)』

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百科事典マイペディア「弾左衛門」の解説

弾左衛門【だんざえもん】

江戸時代,江戸市中および関東周辺12ヵ国にまたがる賤民身分の人びと(えた非人・猿飼(さるかい)など)を轄した〈穢多頭〉。出自や来歴はつまびらかでないが,江戸時代初めに幕府から関東における賤民身分取締りの特権を与えられたものと推定され,17世紀の中ごろにはその地歩が確定,江戸中期から支配地域がしだいに拡大したものとみられる。寛政年間(1789年−1801年)の〈弾左衛門書上〉によると支配数はえた5664軒・非人1995小屋・猿飼61軒に及んでいる。弾左衛門の居所は当初江戸日本橋室町にあったが,のち浅草に移されたと伝え,新町(弾左衛門の支配場で囲内という)に定着,幕末に及んだ。弾左衛門は支配下の賤民部落への徴税権をもち,また皮革および灯心の製造販売の独占的特権を幕府から認められ,その収入は莫大な額に上った。一方これらの特権の代償として,幕府の必要とする陣太鼓・御太鼓をはじめ,絆網など一切の皮革類を無償で提出,また幕府の必要とする灯心をすべて貢納した。そのほか幕府の刑政上の末端的役割を担っていた。幕末の長州戦争のとき幕府の征長軍に500名の軍夫を提供するなどの協力を行い,直属の手下65名とともに幕命によって〈平人〉へ身分を引上げられた(弾内記身分引上一件)。
→関連項目猿回し被差別部落

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「弾左衛門」の解説

弾左衛門
だんざえもん

穢多 (えた) ,非人の総支配頭。摂津国の池田の出身とも,源氏落胤ともいわれるが明らかでない。江戸時代には江戸浅草に住み,幕府の管下で武蔵,上野,下野上総下総安房,陸奥などの全域と,常陸相模,伊豆,駿河,甲斐などの一部の長吏 (穢多頭) ,非人を支配した。中期の支配総戸数は 7700戸だったという。のち弾氏を称した。

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精選版 日本国語大辞典「弾左衛門」の解説

だん‐ざえもん ‥ザヱモン【弾左衛門】

〘名〙 江戸時代、関八州のほか伊豆国の全部および陸奥、甲州、駿州の一部のえた(穢多)、非人の総取締役。江戸に住み、皮革・灯心の製造・販売の特権を有し、えた、非人に対するある程度の裁判権を与えられていた。
※俳諧・大坂独吟集(1675)上「似せ侍もいさやしら雪 たつときも団左衛門も花に来て〈幾音〉」

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世界大百科事典 第2版「弾左衛門」の解説

だんざえもん【弾左衛門】

江戸に本拠をおいた〈穢多頭(えたがしら)(長吏頭(ちようりがしら))〉で,関八州と伊豆の全域,および甲斐,駿河,陸奥の一部の被差別部落を統轄するとともに,触頭(ふれがしら)として全国の被差別部落に号令する権限を幕府からゆだねられていた。歴代この名を襲名し,幕末・維新期の第13代弾左衛門(弾内記(ないき),直樹(なおき))にいたって旧来地位権益を失った。 弾左衛門家の,江戸時代以前における沿革については,ほとんどわかっていない。

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世界大百科事典内の弾左衛門の言及

【源頼朝】より

…なぜならば,北畠の声聞師というのは北畠散所(さんじよ)を根拠地として活動した当代の賤民的雑芸者の集団であるが,それとの歴史的連関はさておくとして,江戸時代の身分制で賤民身分の中核にすえられた〈えた〉が,〈えた〉としての権益を主張するための根本的な〈証文〉として受け伝え,保持していた文書(名称は種々あるが,こんにちでは《河原巻物(かわらまきもの)》と総称されている)に,源頼朝から引き立てられて御用をつとめたのが始まりであると由来を説きおこすのが通例だからである。たとえば,江戸浅草の〈穢多頭(えたがしら)〉弾左衛門(だんざえもん)家伝来の《頼朝卿御朱印の写(うつし)》では,1180年9月に〈鎌倉長吏(ちようり)弾左衛門藤原頼兼(ふじわらのよりかね)〉が頼朝の朱印状により,長吏,座頭(ざとう),舞々(まいまい),猿楽(さるがく),陰陽師(おんみようじ)など各種の職業の支配権を得たという。 この種の文書が偽文書であることは,すでに明らかにされているが,なぜ〈源頼朝〉が〈えた〉の由緒意識の中心にあったのかは,解明されつくしたとはいいがたい。…

※「弾左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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