当麻庄(読み)たいまのしよう

日本歴史地名大系 「当麻庄」の解説

当麻庄
たいまのしよう

興福寺一乗院領荘園。応永三四年(一四二七)の一乗院昭円講師反銭納帳(天理図書館保井文庫)の葛下郡に「重色八十二町五反半四十八歩当麻庄 四十貫八百文納之」とある。当庄の始まりは未詳であるが、いずれ摂関家平田ひらた庄に取込まれ、その総庄(→平田庄のうちに入ったことが考えられ、その意味で本家は摂関家と思われる。この点に関して応永一二年の当麻庄近衛殿御所造営反銭支配状(天理図書館蔵)がある。近衛家は鎌倉期の摂関家の筆頭である。同支配状にはみようとその面積名主が記されており、名には三分一名などがあり、分解の動きもみられるが、もとは二九名であったと考えられる。全文は次のとおり。

<資料は省略されています>

これは近衛殿御所造営について反別一〇〇文を賦課した時の史料であるが、翌一三年の当麻庄本所反銭納分并未進等注文(天理図書館保井文庫)も現存する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 諸氏 布施 高田

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む