東彼杵(読み)ひがしそのぎ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「東彼杵」の意味・わかりやすい解説

東彼杵(町)
ひがしそのぎ

長崎東彼杵郡にある町。大村湾の東岸に位置する。1959年(昭和34)彼杵町と千綿(ちわた)村が合併して成立。町の中心をなす彼杵港は古来海陸交通の要所で、時津(とぎつ)(大村湾南岸)への航路を有し、また陸路では嬉野(うれしの)(佐賀県)へ通ずる旧長崎街道があり、長崎と上方(かみがた)方面を結ぶ交通要地であったが、現在ではJR大村線、JRバス嬉野線、国道34号、205号を通じ、また長崎自動車道東そのぎインターチェンジがあり、港は衰微している。ひさご塚古墳は、これら国道の分岐点近くにある。背後の丘陵斜面ではミカン栽培、丘陵上の平坦(へいたん)地には茶園が広がり、製茶工場も多く、茶の生産は県下の約6割を占める。千綿は寛文(かんぶん)年間(1661~1673)大村藩の財政や産業振興に多大の功績を残した深沢儀太夫勝清(ふかざわぎだゆうかつきよ)(1584―1663)の出生地で、彼はこの地区でも、中岳(なかだけ)地区に四つ池とよばれる溜池(ためいけ)を構築、下流に新田を開発、また江串(えぐし)川の氾濫(はんらん)を防ぐ堤防建設、河口に干拓地の造成などの業績を残している。また、この地区は大村湾県立公園に含まれ、龍頭泉(りゅうとうせん)や大野原高原(おおのばるこうげん)などの景勝地がある。千綿の人形芝居や坂本浮立(さかもとふりゅう)は県指定無形民俗文化財。面積74.29平方キロメートル、人口7721(2020)。

[石井泰義]


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改訂新版 世界大百科事典 「東彼杵」の意味・わかりやすい解説

東彼杵[町] (ひがしそのぎ)

長崎県東部,東彼杵郡の町。人口8903(2010)。西は大村湾に面し,東は多良(たら)岳に連なる山地が広がる。中心の彼杵宿郷は古くからの水陸交通の要地で,江戸時代には陸路は嬉野(うれしの)を経て上方へ,海路は大村湾を南下して長崎へ向かう宿場町として栄えた。現在はJR大村線,国道34号線(長崎街道)が通り,佐世保へ向かう国道205号線を分岐する。東部を長崎自動車道が通り,東彼杵インターチェンジがある。17世紀には大村藩により捕鯨業が行われ,鯨問屋が置かれた。主産業は農業で,稲作を中心に,背後の丘陵地でミカン,茶の栽培が盛んである。千綿(ちわた)川上流に奇岩,滝の続く千綿渓谷があり,なかでも竜頭泉(りゆうとうせん)はみごとな滝で,一帯は多良岳県立自然公園に含まれ,また県境近くの大野原高原は大村湾を一望する景勝の地である。
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百科事典マイペディア 「東彼杵」の意味・わかりやすい解説

東彼杵[町]【ひがしそのぎ】

長崎県東彼杵郡,大村湾に面する町。藩政時代には大村湾を南下する航路があり,長崎への交通要地であった。茶の栽培が盛んで製茶工場が多い。果樹栽培も行う。大村線,長崎自動車道が通じる。74.29km2。8903人(2010)。

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