後平井村(読み)うしろひらいむら

日本歴史地名大系 「後平井村」の解説

後平井村
うしろひらいむら

[現在地名]流山市後平井

市野谷いちのや村の南西八木やぎ台地北部に位置し、西は村。田地は村東部の谷に開け、水路を隔てて東は野々下ののした村。元和四年(一六一八)の年貢掟(吉野家文書)に村名がみえる。寛永二年(一六二五)の旗本本多正貫の領知目録写に「八木之内弐拾弐石」とあるが、この二二石は当村のうちと思われ、のちの当村旗本一色領分二二石と合致する。元禄三年(一六九〇)訴状(船橋市西図書館蔵)によると当時は旗本川口領もあったが、これはのち幕府領となった。同一三年頃の下総国各村級分では高一二一石余、幕府領と一色領の相給。幕府領分はのち旗本遠山氏の知行となり、旧高旧領取調帳では遠山領と一色領の相給。享和元年(一八〇一)には田五町八反余・畑七町九反余、名主を含めて家数一〇・人数三二、馬二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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