日本歴史地名大系 「後白河天皇法住寺陵」の解説 後白河天皇法住寺陵ごしらかわてんのうほうじゆうじりよう 京都市:東山区大仏廻り三十三間堂廻り町後白河天皇法住寺陵[現在地名]東山区三十三間堂廻り町三十三間(さんじゆうさんげん)堂の東南、養源(ようげん)院の南に位置。この辺一帯は、後白河院の院御所、法住寺殿の跡地にあたる。陵内に法華(ほつけ)堂が建ち、伝運慶作の上皇木像坐像を安置する。後白河天皇(一一二七―九二)は、鳥羽天皇を父とし、母は待賢門院璋子。名は雅仁、法名行真。久寿二年(一一五五)鳥羽法皇の院政下に皇位を継ぎ、在位期間は保元三年(一一五八)までであったが、上皇・法皇として二条・六条・高倉・安徳・後鳥羽天皇の代にわたって院政をしいた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by