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後藤伊左衛門 ごとう いざえもん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

後藤伊左衛門 ごとう-いざえもん

1828-1915 江戸後期-明治時代の農民,植林家。
文政11年生まれ。薩摩(さつま)(鹿児島県)から日向(ひゅうが)(宮崎県)諸県郡(もろかたぐん)高城(たかじょう)郷に移住。天保(てんぽう)12年14歳のときから杉の植林をはじめ,養蚕,綿花栽培の振興などにもつくした。大正4年1月10日死去。88歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

後藤伊左衛門

没年:大正4(1915)
生年:文政11(1828)
幕末明治期の造林事業家,宮崎県屈指の大地主。後藤家は万治1(1658)年,日向国諸県郡高岡郷から高城郷に移住した薩摩藩の野町人。もともとは藩の人配(人移し)政策による薩摩からの移住と考えられる。天明5(1785)年苗字帯刀御免。父五市は藩の上納米の上方運送に従事,高城一の財力があった。伊左衛門は嘉永6(1853)年25歳のとき初めて個人経営の造林を手がけた。安政年間(1854~60)には考案したイチイガシの〓印櫓木が房総の漁民に好評で大利を得,以後70年余におよぶ造林事業の元手となった。安政6年,先進地吉野の上市で作苗・造林法を習得。慶応年間(1865~68)に吉野杉の苗圃を作り,また伊予宇和島から檜の幼穂数千本を持ち帰り,日向で最初の檜林を造林。同3年野町の行司役。維新後植林が民間に開放されると,造林の大規模化を展開,明治末には約200ha,樹数160万本に達し,「日向の山林王」と呼ばれた。<参考文献>『高城町史』

(原口泉)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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