得田保(読み)とくだほ

日本歴史地名大系 「得田保」の解説

得田保
とくだほ

能登半島中央部の内陸部、米町こんまち川の支流仏木ほとぎり川上流域の小盆地に比定され、現志賀町徳田とくだを遺称地とする。木曾義仲が北陸道に勢力を伸張させるなか、養和元年(一一八一)一一月二四日、藤原章通が得田保・大町おおまち保・甘田あまだ保・神代かくみ社の四ヵ所の地頭職を安堵された(治承五年一一月二四日「源某下文案」雑録追加)。章通は得田保を本拠地とする武士で、のちの得田氏の祖であり、同年に起こった平氏に対する能登の反乱を経て安堵されたものであった。承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に「土田庄内得田村 七町七段七 文治四年立券状」とみえ、文治四年(一一八八)に得田保が土田つちだ庄から分立、本家職が京都の権門に寄進されて「土田庄内得田村」として立券され、地頭職は章通およびその一流が継続して保有していたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む