日本歴史地名大系 「御厨屋村」の解説 御厨屋村みくりやむら 長崎県:松浦市御厨屋村[現在地名]松浦市御厨町(みくりやちよう) 立木免(たちきめん)・上登木免(かみのぼりきめん)・下登木免(しものぼりきめん)・北平免(きたびらめん)・横久保免(よこくぼめん)・中野免(なかのめん)・前田免(まえだめん)・田原免(たばるめん)・里免(さとめん)・池田免(いけだめん)など志佐(しさ)村の西に位置し、竜尾(たつお)川が流れる。北東部は海に臨む。御厨村とも記す。曹洞宗の慈光(じこう)寺は応永元年(一三九四)の創建で、御厨三河守徳が妹の菩提を弔うために開いたという。御厨筋往還が通る。江戸時代は平戸藩領で、田平筋に属する。慶長国絵図では「御厨屋」として高二千九三三石余。慶長九年(一六〇四)の平戸領惣目録に村名がみえ、正保国絵図では御厨屋村として高二千一二石余。また御厨屋浦は入一七三間・横二九八間とある。慶安二年(一六四九)の肥前国道法帳では船路として御厨屋浦とみえ、平戸から六里で、星鹿(ほしか)浦・今福(いまふく)浦方面などと結ばれた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by