( 1 )挙例の「吾妻鏡」に見える「御台所」は、征夷大将軍源頼朝の妻、北条政子をさす。頼朝亡きあとは「尼御台所」と称された。同じ将軍の実朝、頼経、頼嗣の妻も「御台所」と呼ばれた。
( 2 )中世以降には国司の妻をいう例もあり、近世では、将軍の妻をさす一方で、奥州五十四郡の主、義綱公に身請けされる高尾をさしたり(「浄・伽羅先代萩‐一」)、屋敷の奥様といった単なる敬称にも使われ、敬意が次第に低くなる。
( 3 )この語の省略形「御台(御内)(みだい)」は節用集類に多く見え、「太平記‐九」では治部大輔足利高氏の妻をさしており、近代では二葉亭四迷「浮雲‐二」に妻を「尼御台(あまみだい)」という例が見られる。
…大奥は御殿向,御広敷向,長局(ながつぼね)向の3部分に分かれる。御殿向はその大奥の主人,すなわち本丸ならば御台所,西丸ならば大御台所もしくは将軍世子夫人,その子女たちの居住する場所,御広敷向は大奥管理事務所で,男の御広敷役人の勤務する場所,長局向は大奥に勤務する女中いわゆる大奥女中たちの住む宿舎である。将軍が日常起居する場所は表のなかの中奥であるが,中奥と大奥の間は厳重な塀で仕切られ,御鈴廊下とよばれる廊下のみでつながり,御鈴廊下と中奥の境に設けられた〈御錠口〉から大奥側へは将軍以外の男子は入ることができなかった。…
※「御台所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」