デジタル大辞泉 「浮雲」の意味・読み・例文・類語
うき‐ぐも【浮(き)雲】
1 空中に浮かび漂っている雲。
2 物事の落ち着きがなく不安定なさまのたとえ。「浮き」と「憂き」をかけて用いることが多い。「
[補説]書名別項。→浮雲
[類語]雲・
うきぐも【浮雲】[書名]


ふ‐うん【浮雲】
2 定まらないこと、また、はかなく頼りないことのたとえ。
林芙美子(ふみこ)晩年の長編小説。1949年(昭和24)11月~1950年8月『風雪』に、1950年9月~1951年4月『文学界』に連載完結。1951年4月、六興出版社刊。姉婿の弟に犯された幸田ゆき子は戦時中タイピストとしてフランス領インドシナに渡り、妻のある農林技師富岡と愛し合う。敗戦で内地に引き揚げたのちも2人はずるずると関係を続ける。伊香保(いかほ)での心中未遂、富岡の人妻との愛欲、その夫による人妻の殺害、ゆき子の堕胎、富岡の妻の死などを絡め、ゆき子が富岡について屋久島(やくしま)に渡り喀血(かっけつ)して死ぬまでの荒廃した孤独な姿を、鋭い心理描写と自然描写で描ききった。戦後の虚無的な人間像を写し出した名作としても注目される。1955年、成瀬巳喜男(なるせみきお)監督、高峰秀子・森雅之(まさゆき)主演で映画化されこの年の日本映画賞受賞。
[橋詰静子]
日本映画。1955年(昭和30)、成瀬巳喜男監督。原作は林芙美子。戦時中フランス領インドシナで出会った幸田ゆき子(高峰秀子)と富岡幸吉(森雅之)との断ち切ることのできない関係を描く。二人の愛の絶頂期であるフランス領インドシナでの日々は回想で示され、物語のほとんどは、内地に引き揚げ、愛の絶頂期を過ぎた二人の関係を描くことに費やされる。互いを傷つけ合いながらも求め合う、いわば腐れ縁の男女関係を成瀬は見事に描ききった。戦後をおもな舞台とした本作のために、主演の高峰と森は減量をして役に臨んだ。成瀬の代表作であり、日本の恋愛映画の名作。日本映画界の代表的監督である小津安二郎(おづやすじろう)はこの作品を絶賛した。
[石塚洋史]
『『世界の映画作家31 日本映画史』(1976・キネマ旬報社)』▽『『映画史上ベスト200シリーズ 日本映画200』(1982・キネマ旬報社)』▽『佐藤忠男著『日本映画史2』増補版(2006・岩波書店)』▽『猪俣勝人・田山力哉著『日本映画作家全史 上』(社会思想社・現代教養文庫)』▽『文芸春秋編『日本映画ベスト150――大アンケートによる』(文春文庫ビジュアル版)』▽『『浮雲』改版(新潮文庫)』
二葉亭四迷(ふたばていしめい)の長編小説。第1編は1887年(明治20)、第2編は88年、ともに金港堂(きんこうどう)刊。第3編は89年7、8月、雑誌『都の花』に連載、中絶。学問はできるが観念的で融通のきかない官吏の内海文三(うつみぶんぞう)、その従妹(いとこ)で流行に弱いおちゃっぴいのお勢(せい)、学問よりも要領よく出世することを第一とする俗物の本田昇ら3人の青年男女の葛藤(かっとう)を通じて明治文明を風刺し、当時の風潮に警告を発しようとした作。免職になった文三は実利一辺倒の叔母のお政(お勢の母)にいじめられ、恋人のお勢も本田に誘惑されるが、彼女を救うすべもなく、拠点を失った不安にさいなまれるばかりだった。作者の当初の意図は、中心点をもたぬわが国の浮動性を批判することにあったが、執筆過程で彼自身に学問や論理に対する懐疑が生じ、小説を中絶に導いたとみられる。しかし精密な口語文体で人物を活写し、その心理をえぐった点で、わが国最初の近代小説としての地位は動かない。
[十川信介]
『『浮雲』(岩波文庫・角川文庫・新潮文庫)』
二葉亭四迷の長編小説。1887年(明治20)第1編刊,88年第2編刊,89年第3編を《都の花》に連載。官制の改革が行われた86年の東京を舞台に,内海文三と従妹のお勢の相思相愛の関係が,文三が役所を免職になったのち変貌していくありさまを描く。世俗的なお勢の母親はともかく,新時代の教育を身につけたお勢までがなぜ,卑しい出世主義者の本田昇に惹(ひ)かれていくのか,文三にはわからない。異様なものとして現れてきた世界の姿を問い続けながら,文三は孤独のうちに発狂寸前まで追い詰められていく。ロシア文学理論を日本の現実に適用して,〈新旧両思想の衝突〉を寓意的に描く意図をもって着手されたが,文三の夢想する“近代”の幻像(イメージ)を相対化できずにいた作者は,後半で文三の苦悩を共有し,期せずして日本最初の心理的リアリズム小説をつくり出すことになった。三遊亭円朝にならった言文一致体の試みが,後半では熟した口語文体にまで成長したが,作品は未完に終った。
執筆者:畑 有三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
二葉亭四迷の長編小説。1887年(明治20)6月に第1編,88年2月に第2編を金港堂から刊行。89年7~8月に第3編を「都の花」に掲載。役所を免職になった主人公内海文三の心の動揺を発端に,出世主義者の同僚本田昇やそれになびく従妹お勢,旧弊で実利的なその母親との心理的葛藤の描写を通して,明治20年当時の浮薄な日本社会への批判が意図されている。未完に終わったが,日本近代小説史上,言文一致体による最初の本格的リアリズム小説とされる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
字通「浮」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…戦時中は従軍ペン部隊の一員として,中国や南方各地に赴く。戦後も《晩菊》(1948),《浮雲》(1950‐51)など哀愁を誘う抒情的作品をものしている。ヒューマニズムと清冽(せいれつ)な詩情にあふれた作風に特色があり,それが困難な時代を生きた多くの人々に共感をもって迎え入れられたといえる。…
…《妻よ薔薇のやうに》(1935)での女性像(千葉早智子)の鮮やかさは,《鶴八鶴次郎》(1938)の山田五十鈴,《めし》(1951)の原節子などにうけつがれ,《稲妻》(1952)に始まる高峰秀子とのコンビを決定的なものにする。林芙美子原作の《浮雲》(1955。高峰秀子主演)をはじめ,田中澄江,水木洋子などの女性シナリオライターとの協力も多い。…
…当時すでに,かなや,ローマ字の国字主張が盛んで,一方に三遊亭円朝の講談速記がもてはやされており,文章の方面でも同年に矢野文雄の《日本文体文字新論》,末松謙澄の《日本文章論》が出,文芸の上でも坪内逍遥の《小説神髄》など新思潮の動きが活発で,これらの情勢がようやくいわゆる言文一致体の小説を生んだ。1887‐88年ころあいついだ二葉亭四迷の《浮雲》,山田美妙の《夏木立》などがこれである。四迷は模索ののち文末におもに〈だ〉を用い,美妙は〈です〉を用い,おくれて尾崎紅葉は〈である〉によるなど,新文体の創始にそれぞれの苦心がみられる。…
…北村透谷が〈写実も到底情熱を根底に置かざれば,写実の為に写実をなすの弊を免れ難し〉(《情熱》)と批判したように,そこには〈情熱〉,つまり外界を見るよりもむしろそれを拒絶するような一種の倒錯的な内面性が欠けていたのである。 一方,ロシア文学に通じており内面的であった二葉亭四迷は,いざ書こうとすると,《浮雲》がそうであるように,実質的に江戸文学(戯作)の文体・リズムに引きずられざるをえなかった。実際に,《浮雲》などより,彼のツルゲーネフの翻訳のほうが,のちの写実主義の文学に影響力をもったといえる。…
…明治の小説は,言葉の向こう側にあるモノやココロの世界,つまりは意味されるものの世界に読者の想像力をふりむける技法を開発しなければならなかったのである。そのもっとも有力な技法の一つは,言文一致体で書かれた二葉亭四迷の《浮雲》における語りの構造である。すなわち,主人公内海文三の内面に入りこむとともに,たえずそれを揶揄(やゆ)する声を響かせる無人称の語り手の存在である。…
※「浮雲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」