御救小屋跡(読み)おすくいごやあと

日本歴史地名大系 「御救小屋跡」の解説

御救小屋跡
おすくいごやあと

[現在地名]金沢市笠舞二丁目など

笠舞かさまい村上笠舞の田圃中に設けられた加賀藩の救貧施設。寛文九年(一六六九)六月、大雨によって藩領全域で五万八千石余、石川郡で一万石余の損亡となった。この災害により窮民が多く生じたため、藩は同年一〇月一二日より一九日まで、犀川筋は玉泉ぎよくせん寺、浅野川筋は本願寺末寺で施粥を実施した(改作所旧記)。同一〇年には城下南方野田のだ村で幅一一間・長さ二四〇間の地を確保して大施行所を設け、五月二八日より六月一五日まで粥を施すとともに、笠舞村に小屋数棟を設け窮民を収容した。これが当小屋の始まりでこのときの収容人数は六月二二日から七月一六日までで一千七五三人を数えたという。収容された窮民には粥が給され、七月一四日夕食より飯に替わった。八月には木綿の袷が一枚ずつ、九月には寒さに備えて綿入れ古着が一枚ずつ与えられた。一〇月には各小屋に囲炉裏を設け、炊事ができるようにし、翌一一年の夏からは太布帷が一枚ずつ支給されている(「袖裏雑記」加越能文庫など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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