御服庄(読み)ごふくのしよう

日本歴史地名大系 「御服庄」の解説

御服庄
ごふくのしよう

神通川左岸、呉羽山くれはやま丘陵の東麓にあたり、山城醍醐寺三宝さんぽう院に伝領された庄園。応永二六年(一四一九)一一月一三日、将軍足利義持は足利氏邸の鎮守である三条坊門さんじようぼうもん八幡宮(御所八幡宮、現京都市中京区)に、近江国大柳庄に替えて越中国御服半分(南方)を寄付した(「将軍足利義持寄進状」醍醐寺文書)。南北朝期以前の領有関係については不明だが、この表記からみて、従来は郷・保に相当し、国衙領だったのではないかと推測される。だがその給主が反足利方勢力にくみしたため闕所地化し、幕府料所となっていたのであろう。「満済准后日記」同年一一月一六日条には「三条八幡宮御寄進御(料)越中国御服庄」とみえる。また同月二四日条には、「御服庄へ代官下向、経祐若党」とあり、八幡宮側が経営に乗出したことが知られる。三条坊門八幡宮別当職には、醍醐寺賢俊の弟子光済がその師賢俊以来の足利方に対する忠節のゆえに任じられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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