徳宿郷
とくしゆくごう
東は鹿島灘に臨み、北は涸沼に至る丘陵に立地し、郷内中央部と南西部には七瀬川と巴川が貫流する。鎌倉初期、鹿島三郎成幹の長子太郎親幹は父から鹿島郡北部の所領を分与され、当地に拠って在地領主化の道を歩み、親幹の子秀幹の時代には荒野開発の進展に伴いその子息は郷内に分出した(常陸大掾系図)。天福二年(一二三四)一〇月二一日の烟田秀幹譲状(烟田文書)に「常陸国鹿嶋郡徳宿郷内(中略)烟田・富田・大和田・生江沢」とあり、郷内の四ヵ村は以来秀幹三子朝秀を祖とする烟田氏の所領下に置かれる。
徳宿郷
とこしゆくごう
「和名抄」に「徳宿」と記され、訓を欠く。弘安大田文に「北条徳宿郷五十四丁八段三百歩」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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