中国、唐代の華厳(けごん)宗の僧。浙江(せっこう)省越州山陰に生まれる。中国華厳宗第四祖とされ、清涼大師と称する。俗姓は夏侯(かこう)氏。11歳で出家し、法蔵(ほうぞう)―慧苑(えおん)(673?―743?)―法詵(ほうせん)(718―778)と継承する華厳教学を学んだが、慧苑の教学を異端と判じた。玄壁(げんぺき)、湛然(たんねん)、曇一(どんいつ)(692―771)、惟忠(いちゅう)(705―782)、道欽(どうきん)(715―793)、慧雲(えうん)など、当時の傑出した学僧に学び、律宗、三論宗、天台宗、南北禅宗をも華厳宗のなかに総合化した。776年(太暦11)に、五台山と峨眉山(がびさん)で文殊菩薩(もんじゅぼさつ)と普賢(ふげん)菩薩の2像を感見し、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)を中心とする三聖円融観の華厳信仰を確立したといわれる。五台山の大華厳寺に住し、『華厳経』80巻を注釈した『華厳経疏(しょ)』60巻と、この疏を注釈した『華厳経随疏演義鈔(えんぎしょう)』90巻を著した。この二大著には、法蔵の『華厳経探玄記(たんげんき)』20巻と並ぶ権威が与えられている。
[池田魯參 2017年3月21日]
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…浄土教の曇鸞(どんらん)がここに遊び聖跡に感じて出家した話は有名であるが,大塔院寺等いわゆる台中百ヶ寺の基礎が置かれたのも,このころである。窺基は弟子を率いて福田を行い,澄観は華厳寺で華厳,法華を講義,《華厳経疏》をあらわし,また高麗の慈蔵,北インドの仏陀波利,日本の玄昉(げんぼう)など外国僧の入山も相次いだ。ことに不空三蔵が金閣寺,玉華寺の営構と密教の興隆に尽力してから五台山の名はアジア各地に知られるようになり,日本の霊仙や円仁をはじめ,宋代にも盛算,奝然(ちようねん),成尋(じようじん)など足跡を残した者が多い。…
※「澄観」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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