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心地覚心 しんち かくしん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

心地覚心 しんち-かくしん

無本覚心(むほん-かくしん)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

心地覚心

没年:永仁6.10.13(1298.11.18)
生年:承元1(1207)
鎌倉中期の臨済宗の僧。法燈派の祖。道号は無本,心地は房号。信濃国神林県(長野県松本市)の人,姓は常澄氏。15歳で神宮寺の忠学から仏書を習い,嘉禄1(1225)年19歳(29歳とも)で東大寺戒壇に登って受戒,高野山に登って伝法院覚仏,道範に密教を学び,禅定院(金剛三昧院)の行勇に就いて禅を学んだ。延応1(1239)年行勇に従って鎌倉寿福寺に移り,行勇の示寂後の仁治3(1242)年深草(京都市)極楽寺で道元から菩薩戒を受ける。東福寺の円爾,上野(群馬県)長楽寺の釈円房栄朝,京都勝林寺天祐思順などに歴参して入宋の志を抱き,建長1(1249)年由良(和歌山県)を発して渡海した。諸山を歴遊したのち,杭州(浙江省)護国仁王寺の無門慧開に参じて印可される。建長6年『無門関』などを授けられて帰国,高野山に登り,正嘉2(1258)年金剛三昧院住持となる。その後,もと将軍源実朝の家臣であった願性に請され,由良西方寺(のちの興国寺)を禅宗に改めて開山となった。京都妙光寺の開山に請されたりするが,おもに西方寺を中心として禅化を振るい,規庵祖円,久米田寺禅爾,一遍上人など,多くの僧が参じた。虚無僧で知られる普化宗を将来したともいわれる。法燈円明国師と諡される。<参考文献>『法燈円明国師行実年譜』,虎関師錬元亨釈書』,卍元師蛮本朝高僧伝』,『鷲峰余光』

(中尾良信)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

心地覚心
しんちかくしん
(1207―1298)

鎌倉時代の臨済(りんざい)宗の僧。信濃(しなの)(長野県)の人。俗姓は恒(つね)氏(一説には常澄(つねずみ)氏)。19歳(一説に29歳)のとき東大寺で受戒し、高野山(こうやさん)の退耕行勇(たいこうぎょうゆう)に参じた。道元に菩薩戒(ぼさつかい)を受け、諸師に参じて1249年(建長1)入宋(にっそう)。無門慧開(むもんえかい)の法を嗣(つ)いで54年帰朝。高野山金剛三昧院(こんごうざんまいいん)に住し、58年(正嘉2)紀伊国(和歌山県)由良(ゆら)の西方寺(さいほうじ)(現在の興国寺)に入った。亀山(かめやま)天皇、後宇多(ごうだ)天皇の請いで京へも赴いたが、終始、由良で法を説き、永仁(えいにん)6年10月13日、92歳で示寂。勅諡(ちょくし)は法燈円明(ほっとうえんみょう)国師。虚無僧(こむそう)で知られる普化(ふけ)宗を日本に伝えたともいわれる。[中尾良信]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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