日本大百科全書(ニッポニカ) 「心地覚心」の意味・わかりやすい解説
心地覚心
しんちかくしん
(1207―1298)
鎌倉時代の臨済(りんざい)宗の僧。信濃(しなの)(長野県)の人。俗姓は恒(つね)氏(一説には常澄(つねずみ)氏)。19歳(一説に29歳)のとき東大寺で受戒し、高野山(こうやさん)の退耕行勇(たいこうぎょうゆう)(1163―1241)に参じた。道元に菩薩戒(ぼさつかい)を受け、諸師に参じて1249年(建長1)入宋(にっそう)。無門慧開(むもんえかい)の法を嗣(つ)いで1254年帰朝。高野山金剛三昧院(こんごうざんまいいん)に住し、1258年(正嘉2)紀伊国(和歌山県)由良(ゆら)の西方寺(さいほうじ)(現在の興国寺)に入った。亀山(かめやま)天皇、後宇多(ごうだ)天皇の請いで京へも赴いたが、終始、由良で法を説き、永仁(えいにん)6年10月13日、92歳で示寂。勅諡(ちょくし)は法燈円明(ほっとうえんみょう)国師。虚無僧(こむそう)で知られる普化(ふけ)宗を日本に伝えたともいわれる。
[中尾良信 2017年8月21日]