無門慧開(読み)ムモンエカイ

デジタル大辞泉 「無門慧開」の意味・読み・例文・類語

むもん‐えかい〔‐ヱカイ〕【無門慧開】

[1183~1260]中国南宋臨済宗の僧。杭州良渚(浙江せっこう省)の人。月林師観に参じて「無字」の公案によって大悟し、その著「無門関」に第一則として収めた。勅号仏眼禅師

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精選版 日本国語大辞典 「無門慧開」の意味・読み・例文・類語

むもん‐えかい‥ヱカイ【無門慧開】

  1. 中国、南宋の臨済宗の僧。無門は号。俗姓梁氏。杭州(浙江省)の人。万寿寺の月林師観下で嗣法。「無門関」を著わす。宮中雨乞い祈祷をし、その功で仏眼禅師の号を賜わる。日本の僧、心地覚心はこの法を承ける。(一一八三‐一二六〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「無門慧開」の意味・わかりやすい解説

無門慧開
むもんえかい
(1183―1260)

中国、南宋(なんそう)末の僧。諡(おくりな)は仏眼(ぶつげん)禅師。『無門関』の編著で知られる。杭州良渚(こうしゅうりょうしょ)(今日の浙江(せっこう)省杭州市西部)の人、姓は梁(りょう)。若いころ、生死の問題に悩み、各地を彷徨(ほうこう)ののち、平江府万寿寺の月林師観(げつりんしかん)(1143―1217)に参じ、趙州無字(じょうしゅうむじ)の公案(こうあん)によって大悟する。月林は臨済(りんざい)宗楊岐(ようぎ)派の祖師で、楊岐3世の法演(ほうえん)(1024?―1104)が始めた公案禅の名匠である。慧開も江西と浙江の各地に師法を宣揚するが、南宋末期の国家危機に際して、士大夫の参禅が相次ぎ、晩年、理宗(在位1224~1264)の勅によって、国祚(こくそ)の長久を祈る参禅道場・護国仁王寺を創した。日本には、入宋(にっそう)僧の心地覚心(しんちかくしん)(法燈(ほっとう)国師)が師法を伝えた。尺八も、覚心が伝えたといわれる。

[柳田聖山 2017年4月18日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「無門慧開」の意味・わかりやすい解説

無門慧開
むもんえかい
Wu-men Hui-kai

[生]淳煕10(1183)
[没]景定1(1260)
中国,宋の臨済宗僧。仏眼禅師。天竜寺の曠和尚に師事し,淳祐6 (1246) 年勅命によって杭州に護国仁王寺を開いた。日本から,のちに普化宗を開いた心地覚心が入宋して教えを受けた。著書無門関』。

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