朝日日本歴史人物事典 「心誉」の解説
心誉
生年:天禄2(971)
平安中期の天台宗の僧。左衛門 佐藤原重輔の子。実相房と号す。円珍門徒の観修,穆算らに顕密を学ぶ。広く朝廷や貴族の仏事を奉仕し,怨霊調伏の験力をもって知られた。長和3(1014)年に権律師,寛仁1(1017)年に権少僧都となる。5年ほど任を離れるが,万寿1(1024)年6月,法成寺薬師堂供養を勤めて権大僧都に復帰,長元1(1028)年に権僧正,園城寺長吏となったが,翌年死去。特に藤原道長,頼通父子に重んじられ,法成寺寺務執行に円珍の門徒がもっぱら任じられる端緒を開く。<参考文献>「寺門高僧記」(『続群書類従』),『宇治拾遺物語』
(三橋正)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報