本尊の千手観音はこれより先の長久三年(一〇四二)三月、洛東の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市西京区大原野にある天台宗の寺。西山と号し,西国三十三所観音霊場の第20番札所。〈ぜんぶじ〉ともいう。1030年(長元3)源算上人の建立と伝え,本尊千手観音の霊験で名高い。鎌倉時代に慈円の弟子観性・証空が入寺して興隆につとめ,以降三鈷寺とともに浄土宗西山派の拠点にもなった。後嵯峨天皇の勅願所となり,中世には法親王の入寺が続いて〈西山宮〉とも称されている。応仁の乱の兵火で荒廃したが,江戸時代に徳川綱吉の生母桂昌院が寺領を寄せ,堂舎を再興。現諸堂はほとんどこのときの再建である。木の葉がくれに点在する諸堂の景観,山腹の寺地から見渡す京都盆地の景色はすばらしく,また境内には謡曲でなじみの〈西行桜〉,枝の長さが20m以上もあってさながら竜が地をはうような五葉の松〈遊竜松〉などがある。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
京都市西京(にしきょう)区大原野小塩(おしお)町にある天台宗の寺。西山(にしやま)と号する。本尊は千手観音(せんじゅかんのん)。西国三十三所第20番札所。1029年(長元2)源算上人(げんさんしょうにん)の開基。以後、代々法親王が入山し、西山御坊(にしやまごぼう)と称された。初め良峰寺と書いたが、後鳥羽(ごとば)天皇が善峰寺と改め、官寺に列した。1213年(建保1)法然(ほうねん)(源空)の弟子証空(しょうくう)が住して浄土法門を広め、のちその一派を西山(せいざん)派という。応仁(おうにん)の乱に兵火にかかり焼けたが、豊臣(とよとみ)秀吉が復興し、徳川綱吉(つなよし)の母桂昌院(けいしょういん)が再興に努力した。多宝塔(国重要文化財)、経蔵、本堂、楼門、薬師堂など多くの堂塔が建ち並ぶ。境内にある桂昌院の手植えと伝える五葉松(遊龍(ゆりゅう)松という)は国の天然記念物。
[田村晃祐]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新