志家村(読み)しけむら

日本歴史地名大系 「志家村」の解説

志家村
しけむら

[現在地名]盛岡市志家町・神明町しんめいちよう八幡町はちまんちよう松尾町まつおちようなど

盛岡城下東部加賀野かがの村の南に位置する。「盛岡砂子」によると、位置は八幡町中ほどから北裏の通りとされ、かつては尻家村とも記されたという。「雑書」正保二年(一六四五)三月一九日条によると、十三日じゆうさんにち町で発生した火災によって屋敷一五軒が焼亡、ほかに志家村の百姓家一軒と妙泉みようせん寺も類焼している。寛永一八年(一六四一)の検地高二三七石余(「検地高目録写」県立図書館蔵)正保国絵図には志家村、一〇七石余とある。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付には蔵入高二一一石余とあり、七ヵ年平均の免は五ツ五分八厘七毛。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む