渋田村(読み)しぶたむら

日本歴史地名大系 「渋田村」の解説

渋田村
しぶたむら

[現在地名]かつらぎ町東渋田ひがししぶた西渋田にししぶた

しま村の南にあり、集落は紀ノ川左岸の道に沿って東西に長く連なる。醍醐寺本「諸寺縁起集」所収の天喜二年(一〇五四)粉河寺大率都婆建立縁起に「伊都渋田村」居住の婦人が千手観音の霊験を尊び、自宅を粉河こかわ(現那賀郡粉河町)の地に移して精舎としたとあり、当地と粉河寺が古くかかわりのあったことをうかがわせる。

中世には高野山領志富田しぶた庄のうちで、建武二年(一三三五)二月二五日の生松女御影堂陀羅尼田寄進状(続宝簡集)みえる「志富田庄内西村字小田口西山田」は現在の西渋田にあたると考えられる。文禄五年(一五九六)八月二五日の志富田東当水荒注文(又続宝簡集)には東渋田の中村なかむらの地名がみえる。


渋田村
しぶたむら

[現在地名]輪島市渋田町

さと村の東、日本海に面する山地に立地。渋田川が中央を北流する。永正四年(一五〇七)四月四日の銘がある岩倉寺千手観音棟札(岩倉寺蔵)に「渋田兵衛」がみえ、一貫三〇〇文を奉納している。地内の諏訪神社に延文六年(一三六一)九月の紀年をもつ了慶作の木造男神像が蔵されている。天正一四年(一五八六)七月六日付の前年分の年貢算用状写(円藤文書)に「南志見之内 渋田村」とみえ、高二〇八俵余、うち荒六七俵余、残高一四一俵余のうち五六俵余は年貢免除、定納分八四俵余のうち四二俵余は清六殿分、四二俵余が台所入(うち一二俵金納・三俵大豆納、未進一五俵余)


渋田村
しぶたむら

[現在地名]千代川村渋田

新宗道しんそうどう村の東南に位置。集落の東面を渋海しぶかいといい、水渋の多い所で、村名の起りとも考えられ、現下妻市の大宝だいほう八幡神社東の渋田橋付近より移住したからとも伝えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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