日本歴史地名大系 「志摩利庄」の解説
志摩利庄
しまりのしよう
古代の
とある。また明応四年(一四九五)一二月二九日付伊勢七郎右衛門尉宛の室町幕府奉行人連署奉書(前田家所蔵文書)に「御料所備後国志摩利庄地頭職内公文名号是恒三郎丸本役分事、近年齢阿令難渋之、剰三名延末行里重藤并長宝寺領内田地七段等、称彼下知、宮遠江又五郎押妨云々」とみえる。これらによれば当庄は室町時代、幕府料所であり、幕府の政所執事を世襲した伊勢氏の一族が、代官として段銭国役の徴収などにかかわっていたことが知れる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報