志文町(読み)しぶんちよう

日本歴史地名大系 「志文町」の解説

志文町
しぶんちよう

[現在地名]岩見沢市志文町・下志文町(しもしぶんちよう)・志文本町一条(しぶんほんちよういちじよう)・志文本町二条(しぶんほんちようにじよう)・志文本町三条(しぶんほんちようさんじよう)・志文本町四条(しぶんほんちようよじよう)・志文本町五条(しぶんほんちようごじよう)・金子町(かねこちよう)

市の中央南部、幌向(ほろむい)川と利根別(とねべつ)川の間に広がる地域で、もとは志文(現志文町)・志文市街地(現志文本町)・下志文(現下志文町)・金子(現金子町)の四地域からなっていた。明治二二年(一八八九)夕張道路のうち志文・幌向川までが竣工し、志文原野(幌向原野の一部)開発の端緒が開かれた。翌二三年宮本銀松は妻子と水上・久松の二家族を連れ当地の元組(もとぐみ)に移住し、同二五年には辻村直四郎(のち辻村農場主)が志文原野一〇〇町歩の開墾を志し、雇人一名とともに入地した(岩見沢市史)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む